勝専寺 -足立区千住・浄土宗の寺院墓地-

北千住駅から徒歩5分。通称「赤門寺」。

足立区千住 勝専寺【赤門】

日当たり良好な平坦墓地。盛大な閻魔詣。

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勝専寺(しょうせんじ)について

勝専寺は東京都足立区千住にある浄土宗の寺院です。寺伝によれば文応元年(1260年)に勝専社専阿上人を開山し、開基は新井政勝といわれています。勝専社専阿上人は武蔵国の住人甘粕太郎忠綱の三男で、父が日吉八王子の戦いに討死したので、その追善のため13歳で出家し、浄土宗を開いた法然上人の弟子、弁阿上人のもとで修行したと伝えられます。法然上人の孫弟子になり、直接教えを聞いた事も多かったと推測されます。その後、関東に下り浄土宗の関東布教の拠点のひとつとして勝専寺を開きました。開山した時は82歳になられていたようで、弘安6年(1283年)、105歳で入寂されました。

2代将軍徳川秀忠が鷹狩をした際に休憩所となり、3代徳川家光の時代には境内に茶屋が造営され、利用されていました。日光門主の本陣御用を務めた記録もあり、日光街道の日本橋からの一番目の宿場「千住宿」の拠点の1つとしても知られています。千住の歴史や文化に深くかかわる多くの登録文化財を今に伝え、木造千手観音立像は「千住」の地名起源の1つとされ、開基である新井政勝の父・正次が荒川の水底から引き上げたという伝承もあります。こちらの千手観音立像は内陣の裏にお祀りされており、非常に傷みが激しいため、一般公開はされていません。

現在の本堂は明治39年(1906年)に建立されました。住職は水害の多い地域であると考えコンクリートを主とし、側面に赤レンガをはめ込んだ強固なものにしたといわれています。最近になって新築された庫裏とつなぎ合ったつくりになっています。鐘楼は当初安永4年(1775年)に建設され、千住地区の時の鐘として役立っていました。明治に入って破損し明治24年(1891年)に再建したと「鐘楼建築記念碑」に刻まれており、現在は除夜の鐘として地域の方に親しまれています。また、他の古い建築物としては馬頭観音堂が平成館の脇にあります。かつては本堂左側にありましたが、境内整備に伴い今の位置へ移動しました。馬頭観音は宿場の運送業者の守護神として知られ、勝専寺がそちらの意味でも繁栄していた事がうかがえます。

「おえんま様」の愛称で親しまれ正月と7月盆の15日と16日は閻魔詣が開催されます。この日は地獄のフタが開くといわれ、お参りすると日頃の悪い行いを許してもらえて、万病に効くとされます。赤門前や境内には100軒を超える露店がひしめき、閻魔詣の昔の面影を残しています。

北千住駅から徒歩5分に位置し、駐車場も完備しています。墓地は日当たり良好な平坦墓地で、広々とした境内には緑が多く、気持ちよくお墓参りができます。徒歩7分の場所に別院があり、そちらに永代供養墓があります。

特長

  • 北千住駅から徒歩5分
  • 駐車場完備
  • 日当たりの良い墓域
  • 「赤門寺」として知られる寺格の高い寺院
  • 盛大な賑わいの閻魔詣
  • 千住の地域に深く関わる歴史がある

料金

永代使用料

  • 90cm×90cm(0.81㎡):225万円

※その他の区画もあります。お問い合わせください。

年間管理費

  • 20,000円

※永代供養塔についてはお問い合わせください。

勝専寺 概要

名称 勝専寺
宗派 浄土宗
墓地形態 寺院墓地
経営主体 三宮神山 大鷹院 勝専寺
所在地 東京都足立区千住2-11
アクセス ▼JR常磐線・上野東京ライン、東京メトロ千代田線・日比谷線、東武スカイツリーライン、東武伊勢崎線、東武日光線・鬼怒川線、つくばエクスプレス「北千住駅」2番出口より徒歩5分


※勝専寺に朋友の係員は常駐していません。行事や法要の予定を確認の上で墓地のご案内をさせていただきますので、勝専寺をご見学の際は事前に朋友までご連絡をお願いします。

※勝専寺以外の墓地情報は「墓地一覧」よりご覧ください。

お問い合わせ

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─墓石・仏壇の朋友 フリーダイヤル─
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