海福寺 -目黒区下目黒・黄檗宗の寺院墓地-
都心で貴重な黄檗宗の寺院墓地
東急目黒線「不動前駅」から徒歩10分
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海福寺(かいふくじ)について
明から来朝した隠元隆埼が万治元年(1658)に江戸深川に開創した黄 檗宗の寺でしたが、明治43年(1910)に現在地へ移転しました。
本尊は釈迦牟尼仏で、他に四天王像や隠元禅師の像、木造阿弥陀如来立像 (区指定文化財)が安置されています。
木造阿弥陀如来立像は彫刻技法の特 徴などから12世紀頃に京都あるいはその周辺で制作されたものと考えられ、 都内に現存している稀少な例です。
山門の赤い四脚門(区指定文化財)は明治後期に新宿区上落合の泰雲寺 (現在は廃寺)から移建したものです。
山門左手前の「文化四年永代橋崩落 横死者供養塔及び石碑」(都指定文化財)は、文化4年(1807)の深川 富岡八幡大祭の時に起こった、永代橋崩落事件の死者供養のために建てられ たものです。
また境内の梵鐘(都指定文化財)は天和3年(1683)武州江戸中村喜 兵衛藤原正次の作で、中国の鐘の形式に似ながら日本の古鐘の形式に範をと るという特異な考案によるもので、江戸時代の梵鐘中でも類例の少ない遺品です。
平成21年3月 目黒区教育委員会
特長
- 東急目黒線「不動前駅」から徒歩10分
- 駐車場完備
- 上下二段の墓地
- 管理が行き届いた境内
- 山門の赤い四脚門は、区指定文化財
- 文化四年永代橋崩落 横死者供養塔及び石碑は、都指定文化財
- 梵鐘は、都指定文化財
- 聖和苑を併設
料金
永代使用料
- 60㎝×90cm(0.54㎡):135万円
- 70cm×90cm(0.63㎡):158万円
- 90cm×105cm(0.945㎡):285万円
- 90cm×110cm(0.99㎡):300万円
- 105㎝×110㎝(1.155㎡):345万円
年間管理費
- 12,000円
海福寺 概要
名称 | 海福寺 |
宗派 | 黄檗宗 |
墓地形態 | 寺院墓地 |
経営主体 | 海福寺 |
所在地 | 東京都目黒区下目黒3-20-9 |
アクセス | ▼東急目黒線「不動前駅」より徒歩10分 ▼東急目黒線、都営三田線、東京メトロ南北線「目黒駅」東急中央口出口より徒歩15分 ▼JR山手線「目黒駅」JR東口出口より徒歩15分 |
文化四年永代橋崩落横死者供養塔及び石碑について
文化4年(1807)の深川富岡八幡宮の大祭は、大喧嘩が原因で中止されていた祭りが12年ぶりに催されたため大変な賑わいだった。しかし将軍世子らの御座船が永代橋の下を通過する間、一時的に橋上の通行が禁止された。通行止めが解除されて一斉に群衆が橋を渡った時に橋の中央付近が崩落し、多くの人が隅田川に転落。多数の溺死者を出す、江戸開府以来の大惨事が発生した。事件後、当時永代橋に近い深川寺町通り(現・江東区深川二丁目付近)にあった黄檗宗永寿山海福寺に無縁仏が埋葬された。そして百日忌に供養塔が、安政3年(1856)の五十回忌に石碑が、海福寺境内に建立された。海福寺は明治43年(1910)に目黒区下目黒の現在地に移転したが、その際にこの供養塔及び石塔も移設され、現在に至っている。この事件はのちに、戯作者山東京伝の『夢の浮橋』や京伝の弟山東京山の『蜘蛛の糸巻』、滝沢馬琴の『兎園小説余禄』に所収されるなど、江戸市民に大きな衝撃を与えた。溺死者440名とも言われた空前の大惨事を、江戸市民がどのように受けとめ後世に伝えたかを明らかにする重要な資料である。
平成23年3月 建設
東京都教育委員会
海福寺四脚門について
目黒区指定有形文化財 昭和59年3月31日
海福寺四脚門は明治後期に新宿区上落合 泰雲寺にあったものを移建したものであるが、その後の長い年月の間に海福寺境内や周辺の環境によく調和しており、落ち着きのある景観をうみだす重要な建物として定着している。また、四脚門は中央にある親柱一本とその前後に二本ずつある四本の控柱からきた名称で日本建築の代表的な門の形式であり当四脚門はその細部絵様の様式において、江戸時代中期の特質を備える貴重なものである。
昭和59年8月 東京都目黒区教育委員会
■墓地見学について
※海福寺に朋友の係員は常駐していません。行事や法要の予定を確認の上で墓地のご案内をさせていただきますので、ご見学の際は事前に朋友までご連絡をお願いします。
※海福寺以外の墓地情報は「墓地一覧」よりご覧ください。