興昭院 ─港区虎ノ門・浄土宗の寺院墓地─
虎ノ門ヒルズ駅、神谷町駅から歩いてすぐの好立地
こんにゃく閻魔でも広く知られた寺院
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興昭院(こうしょういん)について
興昭院は港区虎ノ門にある浄土宗の寺院です。
都心の一等地に位置しながら、背景に愛宕山を配し、四季折々の緑を眺望しながらお墓参りができます。都心には貴重な木造寄棟瓦葺の本堂があり、厳かな佇まいに歴史を感じます。
山門を入ってすぐの左手に「こんにゃく閻魔」と呼ばれる石の閻魔様が祀ってあります。関東大震災の時に火をかぶったためお姿がくずれていますが、体形はしっかりしています。江戸時代に眼病の方がそっと隠れて願掛けをし、治るとお礼にこんにゃくを副えて、お詣りをする習わしがありました。現在でも願掛けをしにお越しになる方がおり、港区の指定文化財に選定されています。
智相院、随養院、教受院という3つのお寺が合併して現在に至っています。下記の年表は現住職が小学校5年生の時の夏休みの宿題に作成したものです。
- 天文2年(1533)、本寺天徳寺は天地庵といい、紅葉山に創建
- 慶長16年(1611)、天徳寺10世俊蓮社獄誉上人行大和尚の時、西窪の現在地に移る。智相院(興昭院の中心)もできる。
- 元和1年(1615)2月1日、智相院開山俊蓮社嶽誉上人遷化。
- 寛永8年(1631)9月1日、随養院(興昭院の一つ) 開山、檀蓮社雄誉上人松風霊巌大和尚遷化。いつできたかわからない。
- 万治4年(1661)3月3日、教受院(興昭院の一つ)開山、忍蓮社法誉上人分達和尚遷化。いつできたかわからない。
- 寛文8年(1668)2月より、教受院の過去帳がある。
- 寛文8年(1673)1月より、智相院の過去帳がある。
- 享保7年(1732)1月より、随養院の過去帳がある。
- 文政1年(1818)1月8日、教受院本堂・蔵・庫裡再建。
- 天保7年(1836)3月より天保4年(1843)7月まで、教受院、無住宝瑞院預り。
- 天保4年(1843)8月、教受院、栄閑院預り。 天保4年9月より天保5年(1844) 2月まで、不断院預り。
- 嘉永3年(1850)2月5日、麹町5丁目より出火した火災で類焼。無住の教受院は再建できず、随養院と合併する。
- 元治1年(1864)9月8日より2年2月まで、智相院無住。長元院預り。
- 明治6年(1883)5月5日、安政以来大破した随養院が再建されたのを記念して、随養院と教受院の両寺名を取って、随教院と変えた。
- 大正2年(1923)9月1日、関東大震災の時、赤坂新町3丁目から起った火災のため、智相院・随教院とも焼失。しかし弥陀三尊・不動尊・過去帳は、持ち出したので無事。
- 大正2年1月9日、智相院の世榊匡純(曽祖父)入。 大正2年1月3日、榊随純(祖父)智相院と随教院との住職になる。
- 昭和3年(1928)2月6日、智相院と随教院と合併して、智相山随教寺興昭院となる。
- 昭和8年(1943)6月、本堂上棟式を行なう。戦争で中断、戦後まもなく完成した。
◎特長
- 「虎ノ門ヒルズ駅」「神谷町駅」から徒歩5分以内
- 「虎ノ門駅」「御成門駅」から徒歩10分ほど
- 港区指定文化財のこんにゃく閻魔
- 背景に愛宕山を配した、整然とした墓地
- 良心的な永代使用料
- 駐車場完備 ※近隣にもコインパーキングが複数ある
◎料金
永代使用料 ※カロ―ト(納骨室)付きの料金です
- 大(縦96cm×横89cm):300万円 ※完売
- 中(縦71cm×横62cm):230万円
- 小(縦62cm×横53cm):150万円
年間管理費
- 12,000円
◎興昭院 概要
名称 | 興昭院 |
宗派 | 浄土宗 |
墓地形態 | 寺院墓地 |
経営主体 | 智相山 興昭院 |
所在地 | 東京都港区虎ノ門3-10-8 |
アクセス | ▼東京メトロ日比谷線「虎ノ門ヒルズ駅」A1出口より徒歩3分 ▼東京メトロ日比谷線「神谷町駅」3番出口より徒歩4分 ▼都営三田線「御成門駅」A5出口より徒歩10分 ▼東京メトロ銀座線「虎ノ門駅」2番出口より徒歩11分 |
◎墓地見学について
※興昭院に朋友の係員は常駐していません。行事や法要の予定を確認の上で墓地のご案内をさせていただきますので、ご見学の際は事前に朋友までご連絡をお願いします。
※興昭院以外の墓地情報は「墓地一覧」よりご覧ください。