弘法寺 -市川市真間・日蓮宗の寺院墓地-
国府台駅から徒歩10分の日蓮宗の本山寺院
本山寺院にふさわしい広大な境内と充実した設備
※クリックで拡大表示
弘法寺(ぐほうじ)について
弘法寺は千葉県市川市真間にある日蓮宗の本山寺院です。
奈良時代の天平9年(737年)に行基菩薩が弘法寺の地に立ち寄った時に、手児奈の娘の話を聞き大変哀れに思い、一宇を建立し「求法寺」と名付け手厚くその霊を弔いました。その100年後の平安時代の弘仁13年(822年)に教えを広めるために弘法大師・空海がこの地にきました。その時に求法寺を七堂伽藍に再建して「弘法寺」と名前を改めました。
その後、鎌倉時代の建治元年(1275年)に、その時の住職の了性法印尊信と、後に中山法華経寺を創設した富木常忍との間に問答がありました。富木常忍から連絡を受けた日蓮聖人は六老僧の伊予房日頂上人を派遣し対決させました。結果は日頂上人が勝利し、それ以来、弘法寺は法華経の道場となり日頂上人が開山することになりました。
鎌倉幕府第9代執権・北条貞時より偏諱を受けた千葉胤貞から元喬3年(1323年)に寺領を寄進されました。また徳川家康から天正19年(1591年)にご朱印状を受け、さらに元禄8年(1695年)に水戸光圀がお立ち寄りになり茶室を褒めたたえ「遍覧亭」と称しました。
明治21年(1888年)の火災によって焼失し、諸堂は明治23年に再建されました。平成22年に新たに祖師堂が再建されました。
- 737年(天平9年)行基は求法寺を建立する。
- 822年(弘仁13年)空海は伽藍を整備し弘法寺と改称する。
- 881年(元慶5年)天台宗に改宗する。
- 1275年(建治1年)住持・了性法印と法華経寺・富木常忍は法論し日蓮宗に改宗する。
- 1275年(建治1年)日頂は弘法寺1世となる。
- 1275年(建治1年)弘法大師像を總持寺に移す。
- 1323年(元亨3年)千葉胤貞より寺領の寄進を受ける。
- 1380年(康暦2年)天台宗の僧・玄妙(顕本法華宗の祖)は弘法寺に帰伏し日什と改名する。
- 1457年(長禄1年)太田道灌は茶室を寄進する。
- 1501年(文亀1年)弘法寺7世・日与は手児奈霊神堂を建立する。
- 1591年(天正19年)徳川家康は朱印地30石を与える。
- 1695年(元禄8年)徳川光圀は茶室に遍覧亭という号を贈る。
- 1888年(明治21年)火災により諸堂を焼失。
- 1890年(明治23年)諸堂を再建する。
境内には地元でも有名な「伏姫桜」が春には圧巻の花を咲かせます。樹齢400年を超えるこの桜はその名前をいつ、誰が名付けたかわかっていません。また、正面石段の下から27段目にある石が涙を流すように濡れ続けていて「涙石」と呼ばれています。江戸時代に作事奉行であった鈴木修理長頼が日光東照宮に使う石材を伊豆から船で運ぶ途中に市川の根本あたりで、なぜか動かなくなってしまいました。長頼は近くにあった弘法寺の石段に勝手に使用してしまい、その責任を幕府から咎められその石段で切腹。その無念の地と涙が染み込んでいると伝えられています。
墓地は日当たりが良く、バリアフリー設計です。本山寺院にふさわしい本堂、祖師堂、客殿を備え、広大な境内には駐車スペース、休憩スペースが多数あり、近隣の方が散歩によくお越しになっています。
特長
- 日蓮宗の本山寺院
- 広大な境内と充実した設備
- 日当たり良好
- バリアフリー設計
- 樹齢400年の伏姫桜
- 国府台駅から徒歩10分
料金
永代使用料
- 60cm×60cm(0.36㎡):56万円
- 75cm×60cm(0.45㎡):65万円
- 90cm×90cm(0.81㎡):101万円
- 90cm×110cm(0.99㎡):154万円
- 120cm×90㎝(1.08㎡):166万円
- 120cm×150cm(1.80㎡):263万円
- 150cm×150cm(2.25㎡):290万円
※その他の区画もあります。お問い合わせください。
年間管理費
- 17,000円
弘法寺 概要
名称 | 弘法寺 |
宗派 | 日蓮宗 |
墓地形態 | 寺院墓地 |
経営主体 | 真間山弘法寺 |
所在地 | 千葉県市川市真間4-9-1 |
アクセス | ▼京成本線「国府台駅」出口より徒歩10分 ▼京成本線「市川真間駅」出口より徒歩17分 ▼JR総武線「市川駅」北口出口より徒歩19分 |
※弘法寺に朋友の係員は常駐していません。行事や法要の予定を確認の上で墓地のご案内をさせていただきますので、弘法寺をご見学の際は事前に朋友までご連絡をお願い致します。
※弘法寺以外の墓地情報は「墓地一覧」よりご覧ください。